国務大臣である橋本聖子さんは、東京オリンピック・パラリンピック競技大会を担当しています。
2020年、2021年は国会で発言し、テレビに露出することも多いですね。
橋本聖子さんは、2021年現在、参議院議員5期目と、政治家としてのキャリアも長いです。
しかし若い頃はスピードスケートや自転車競技選手でした。
この記事では、
- 橋本聖子さんの若い頃の画像
- 橋本聖子さんのwikiプロフィール
について、まとめています。
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【画像】橋本聖子の若い頃がカッコイイ!
橋本聖子さんは、若い頃はスピードスケートや自転車競技の選手でした。
冬季はスピードスケート、夏季は自転車選手として、合計7回もオリンピックに出場しています。
2019年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当の国務大臣を任命されたのも、納得ですよね。
聖火にちなんで「聖子」と名付けられたのは、運命的とも言えるほど、オリンピックと深く関わっている人生です。
この章では、現役スピードスケート選手だった頃の橋本聖子さんの画像をまとめました。
こちらは1988年のカルガリー冬季オリンピックの時の橋本聖子さん。
23歳の時ですね。
スピードスケート5種目に出場し、すべての種目で日本記録を更新し、入賞しました。
本番にすごく強いんですね。
全身写真を見てみましょう。
スピードスケート選手とあって、脚の筋肉がすごい!カッコイイですね!
膝の上が、大きく盛り上がっているのが分かります。
オリンピック選手は、選手団ユニフォームとしてスーツが支給されますよね。
この筋肉でタイトスカートをはくと、結構パツパツになって窮屈だったでしょうね。
こちらは、1988年のソウルオリンピックの時の橋本聖子さん。
この時は、自転車の日本代表選手として出場しています。
1年で2回もオリンピックに出場するとは、すごいですね!
日本人として、男女通して史上初の冬・夏両方のオリンピック出場選手になったそうです。
メガネのフォルムが、いかにも80年代ファッションという感じです。
こちらは、1992年アルベールビル冬季オリンピックの時の橋本聖子さん。
27歳ですね。
この大会でもスピードスケート5種目に出場し、女子1500mで銅メダルを獲得。
日本人女性として、史上初の冬季オリンピック銅メダルという快挙でした。
心なしか、前大会の時よりも顔がほっそりしているように見えます。
肌もツヤツヤですね!
メガネをかけないと、また印象が変わりますね。
こちらは1994年リレハンメル冬季オリンピックの時。
29歳です。
日本選手団の主将を務め、スピードスケートの4種目に出場。
3000mでは日本新記録を出して、6位に入賞しています。
20代で代表選手の主将とは、カッコイイですね!
橋本聖子のwikiプロフィール
東京オリンピック・パラリンピック、橋本聖子大臣の記者会見開始 pic.twitter.com/nVNb3Zzoho
—しょうぼう(@vnLfpALQeN2QjPO) September 16, 2020
- 氏名:橋本聖子(はしもと・せいこ)
- 生年月日:1964年10月5日
- 出生地:北海道安平町
- 出身校:駒澤大学付属苫小牧高等学校
- 前職:富士急行、スピードスケート選手、自転車競技選手
- 現職:国務大臣、女性活躍担当大臣
橋本聖子さんは、1964年東京オリンピックの開会式5日前に、北海道安平町で生まれます。
そのため、聖火にちなんで「聖子」と名付けられました。
4人兄弟の末っ子で、両親は牧場を経営。
子どもの頃は、のびのび育ったのでしょうね。
父親の勧めで、3歳からスケートを始めたそうです。
中学3年生で全日本選手権で優勝して以降、全日本選手権で10連覇を果たします。
1983年に富士急行株式会社へ入社し、1994年に退社します。
1995年に自民党から立候補して、参議院議員に初当選。
国会議員とスポーツ選手の二足のわらじで、1996年にはアトランタオリンピックにも出場しています。
2021年現在は、議員として5期目。
オリンピック7回出場の経歴から、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当の国務大臣を務めています。
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橋本聖子の若い頃の画像まとめ
2021年現在は、国会議員5期目で国務大臣の橋本聖子さん。
若い頃は、スピードスケートや自転車競技の選手でした。
- 橋本聖子さんの若い頃(オリンピック選手時)の画像を紹介
- オリンピックイヤー生まれで、聖火にちなんで「聖子」と名付けられた
- 冬季・夏季あわせて7回オリンピックに出場
- 1992年アルベールビル冬季オリンピックで、銅メダル獲得
- 1994年リレハンメルオリンピックでは、日本選手団の主将を務めた
というのが、この記事のまとめです。