これまでビートルズが解散した理由は、よくあるバンドの「音楽の方向性の違い」くらいに思っていました。
けれど。『ザ・ビートルズ解散の真実』を読んで、それだけではないことが分かりました。
550ページを超える分厚い本には、理由や経緯について詳細に書かれています。
想像以上に複雑で壮絶でした。
今回は、この本の内容を元に、世界中を席巻したザ・ビートルズが解散に至るまでの経緯を、時系列に分かりやすく解説します。
ビートルズが解散した理由は、ひとつではない
ファンや関係者の間では、次の人たちを「解散の理由」として挙げることが多いようです。
- マネージャーのエプスタイン
- オノ・ヨーコ
- ポール・マッカートニー
- マネージャーのアレン・クライン
- 音楽の方向性の違い
確かに上記は、解散のキーパーソンや事項なのです。
けれど「これが原因」とひとつに決められるものではありません。
「いろいろ積み重なって、かみ合わなくなり、内部崩壊した」のだと、本を読んで思いました。
何か決定的な理由があって、というわけではありません。
逆に、ビートルズは解散すると決めてから、実際に解散するまでに何年もかかっています。
そちらには決定的な理由がありました。それは「金銭問題」です。
以下に詳細を、時系列に解説します。
1967年 ビートルズのマネージャー逝去。不利な契約に気づく
『ザ・ビートルズ解散の真実』を読んで、ビートルズが解散への助走を始めたのは1967年だと思いました。
1966年まで、ビートルズの活動はコンサートが中心でした。世界中を飛び回っていたんですね。
1967年からは、スタジオでのレコーディングがメイン活動となっていきます。
その理由としては、8月にマネージャーのエプスタインが急逝したことが大きかったようです。
交渉やスケージュール調整する人を突然失ったのですから、さぞかし混乱したろうと思います。
また、この時にメンバーは、自分たちがマネージメント会社と非常に不利な契約をしていたことを知ります。
エプスタインがマネージャーでなくなっても、マネージメント会社が、ビートルズのレコード売上の25%を「一生涯」もらう契約になっていたのです。
残り75%をメンバーで等分していたわけなので、メンバー1人当たりよりも、マネージメント会社の方が取り分が多かったわけです。
メンバーたちは、若かったということもあってか、契約書の内容をあまり理解せずに署名してしまったんですね。
1968年 ビートルズにオノ・ヨーコ登場
1968年は、オノ・ヨーコがビートルズの活動に大きな影響を及ぼしました。本からそれぞれの言い分を引用して紹介します。
1月 メンバー共同経営の会社を設立
前年に、自分たちが非常に不利な契約をしていることに気づき、税金対策もしっかりしようと考えた4人は、共同経営するレーベル会社を設立します。
誰が作詞作曲しても、グループはもちろんソロアルバムを出しても、レコード売り上げは4等分というルールです。
お金でもめないよう、彼らなりに考えた結果だったんでしょうね。
2月 ジョン、オノ・ヨーコと共に活動開始
ジョンとオノ・ヨーコの出会い自体は1966年11月でしたが、この頃になるとジョンは自分のパートナーとして、活動を共にするようになります。
ジョンは、ヨーコの影響で「創造性=生き方」という考え方をするようになり、それまでは否定的だった実験的アートを始めます。
ジョンの創造性が大きく広がったのは明らかで、そういう意味でヨーコはジョンのミューズだったと言えます。
5月 ジョン、ヨーコをスタジオにも連れてくる
ジョンはヨーコをレコーディングスタジオまで連れていくようになり、そのことで他のメンバーとの間に溝ができていきます。
メンバー間では、仕事場であるスタジオには、ガールフレンドや妻を入れないという暗黙の了解があったからです。
「ビートルズはあくまでもぼくら四人のことだった。そこにこの女があらわれたんだ」
『ザ・ビートルズ解散の真実』よりポールの言葉
「すごく取り乱したのを覚えている。(中略)奥さん連中やガールフレンドがスタジオに来ることは一度もなかった。でもそれはオレたちが一緒だったころの話だ。そこにヨーコがあらわれた。オレたちがみんなで挨拶する程度のことなら問題はなかった。ジョンが連れてきたからだ。でも彼女はスタジオに入ってきて、ジョンのアンプの上に座ったんだ」
同著よりリンゴスターの言葉
「彼女は本心でぼくらのことを嫌っていた(中略)ビートルズを自分とジョンのあいだに割って入る邪魔者と見なしていたからだ。言ってみれば彼女は、彼とぼくらのあいだにどんどん深く食い込もうとしている楔のようなものだった。でも、それが現実になったんだ」
同著よりジョージの言葉
一方で、ジョンとヨーコは次のように語っています。
「オレはいつだってジョンとヨーコだし、それは絶対に変わらない。オレたちは二十四時間中カップルだ。だからオレがビートルズとしてなにかをしているときも、ヨーコはオウムみたいに肩に止まっているのさ」
同著よりジョンの言葉
「わたしはみんなの邪魔にならないように、じっと座っているようにしました(中略)ジョンはいつもわたしにいてほしがりましたし、もしわたしがいなかったら、最初からセッションに顔を出さなかったかもしれません」
同著よりヨーコの言葉
ジョンとヨーコが絶賛熱愛中なのは分かりますが、やはりプライベートと仕事は分けた方が良かったろうと思いますね。
ジョンの行動への意趣返しとして、ポールもスタジオに女性を連れてきたりしたため、メンバーの関係は一層悪くなってしまいました。
1969年 ポール以外の3人がビートルズ脱退宣言
1969年は、ジョージ、リンゴスター、ジョンが次々と脱退宣言をするものの、グループとしてレコード会社と新契約を結ぶという、はた目には奇々怪々な年になりました。
1月 ジョージ、脱退宣言
ビートルズは1月2日の正月早々からスタジオでレコーディングを始めます。しかし4人の気持ちはバラバラで険悪な雰囲気。
ジョージは、グループが1年前から低迷していることを指摘し、「離婚」すべきかもしれないとメンバーに告げます。
そして1月10日、ジョージとジョンは激しく言い争います。
翌日4人で話し合いますが、ジョージは、ジョンを理解できないことと、ヨーコとはうまくやっていけないことを理由にグループ脱退を宣言。
この時そのまま解散にならなかった理由は、ビートルズが共同経営する会社は、財政が危機的状態で立て直す必要があったからのようです。
2月 アレン・クラインが新マネージャーになる
経済的危機に陥っていたビートルズは、いろんな会社との契約を見直して印税を取り戻したりしてくれるマネージャーを探していました。
ジョンとヨーコの言葉を借りれば、「他のサメを追い払ってくれるサメ」を必要としていたんですね。
ジョン(とヨーコ)、ジョージ、リンゴは、アレン・クラインをマネージャーにしようとします。
一方のポールは弁護士のイーストマン親子を推します。理由は次の3つでした。
- 恋人であるリンダ・イーストマンの父と兄なので、親しい間柄だった
-
アレン・クラインは脱税容疑で捜査を受けており、信用できない
- アレン・クラインがビートルズの売上15%を取るのは多すぎる
しかし、ものごとを多数決で決めていたビートルズは、3対1でアレン・クラインをマネージャーに決めます。
ここから「3対1」というメンバーの対立関係が始まり、ポールが孤立します。
3月 2組のカップルが結婚、リンゴも脱退の意思を表明
3月12日に、ポールとリンダが結婚します。
しかし、結婚式にはメンバーは誰も出席しませんでした(招待したか不明)。
結婚式当日、ジョンとヨーコはスタジオに、リンゴスターは映画撮影に、ジョージは会社にいたそうですが、長年一緒にやってきたバンドメンバーの結婚式に参列しないというのは、驚きですよね。
その約1週間後の3月20日、ジョンとヨーコが結婚します。ヨーコが日本人であるため、最も簡単な手続きで結婚できる英領ジブラルタルで結婚しています。
本には明記されていませんでしたが、そういう状況やヨーコとの関係からしても、やはり他3人は結婚式には出席していないと思われます。
また、この頃にはリンゴスターもビートルズ解散に同意する発言をあちこちでしています。
「もうビートルズのメンバーだったことを、懐かしいとは思わない。あの時代を取り戻すことはできないんだ。過去に生きたってしょうがないだろ」
同著よりリンゴスターの言葉
9月 ジョン、脱退宣言
リンゴスターまでも解散に同意しましたが、ビートルズはグループで活動することにしました。
アレン・クラインが、印税25%という条件の良さで、レコード会社との契約を取り付けたからです。
その話し合いの場で、ポールがビートルズの立て直しについてコンセプトを語りました。
しかし、ジョンはポールに「お前、頭がおかしいんじゃないか」と言って、脱退宣言します。
「ほんとはキャピトルの契約にサインするまで、なにも言わないつもりでいたんだが、オレはグループを脱けさせてもらうぜ」
同著よりジョンの言葉
少し話が分かりにくいですが、まとめると次のような状態です
- ポール以外の3人はグループ脱退を表明
-
しかし、ビートルズとして新しいレコーディング契約を結ぶ
はた目からは、事実上グループ崩壊しているけれど、お金のためにつながっているという印象ですよね。
グループを解散したくなかったポールは大ショックを受けます。
一方、脱退宣言をしていたジョージとリンゴにとっては、ジョンの脱退宣言はたいした出来事ではなかったようです。
ジョージはその時の記憶すらなく、リンゴは「むしろホッとした」と後に語っています。
12月 ジョンとヨーコの平和キャンペーン
9月に脱退宣言をしたジョンは、「プラスチック・オノ・バンド」を中心に活動します。
そしてクリスマスに、ジョンとヨーコは「戦争は終わりだ(きみがそう望めば)」というポスターを作り、世界中で展開するというキャンペーンを行います。
ビートルズがメンバー間で争っていたことを思うと、皮肉な感じがしますよね。
1970年 ポール、ビートルズ解散のために訴訟を起こす
前年にメンバー3人が脱退宣言をし、事実上グループは崩壊状態でしたが、レコーディング契約したこともあり、公にはしていませんでした。
しかし、4月と12月に決定的なことが起こります。
4月 デイリー・ミラー紙がポールの脱退を報道
ポールは、自身のソロアルバムのためのインタビューを受けます。
その中で、ポールは解散や脱退について具体的なことは一言も語っていないにも関わらず、デイリー・ミラー紙が「ポールがビートルズを脱退」という見出しで独占記事を出したのです。これが大騒ぎになりました。
これを機に、ポールもジョンにビートルズを辞めると告げます。
世間から大きな注目を浴びたポールを、ジョンは「優秀なPRマン」と評します。自分のソロアルバムのPRのためにポールが脱退表明したと思ったようです。
一番最初にビートルズを辞めると言ったのは、ジョージでした。
リンゴとジョンがそれに続きました。
ポールは解散したくなかったにも関わらず、一番最後に(しかもセンセーショナルに)脱退宣言することになったため、世界中からビートルズを解散した男として非難されることになりました。
4月以降 メンバーのソロ活動が本格化
ポールも同年ソロアルバムを出しましたが、ジョージは3枚組のレコードをリリースしました。
ビートルズだった時は、天才的なジョンとポールの2人に抑え込まれていたジョージは、長年作りためていた作品を一挙公開したんですね。
自由に曲を作れるようになったジョージは、水を得た魚のように、自分の才能を発揮するようになったのでした。
12月 ジョン、雑誌インタビューでメンバー攻撃
12月8日、ジョンは音楽誌「ローリングストーン」のインタビューで、ビートルズのメンバーやマネージャー、関係者の暴露話や中傷をしました。
ジョンにとっては、ずいぶんと心に溜め込んだ話だったようで、2号にわたって掲載される超ロングインタビューになりました。
書かれた人はみな傷ついたようですが、特にポールはつらかったようです。
「当然、この件については頭の中であれこれ考えたよ。ぼくは彼の大親友のひとりだったし、いちばん親密な人間のひとりでもあった。(中略)だからとても傷ついたんだ」
同著よりポールの言葉
12月 ポール、解散のために他のメンバーを提訴
ポールとマネージャーのアレン・クラインは、最初からうまくいっていませんでした。
この4月には、アレン・クラインが勝手にポールの曲にオーケストラアレンジを加えるなどしたため、ポールは文書で抗議しています。
作品を許可なく勝手に編集されると、それは誰だって腹が立ちますよね。
バンドは事実上解散しているのに、法的な契約があるために、ポールは自分の思うように曲が作れない状態でした。
ポールはジョージに、共同経営しているレーベル会社を抜けたいと相談しますが、相手にしてもらえません。
ついにポールは、合法的に正式にビートルズを脱退すべく、訴訟に踏み切ります。12月31日のことでした。
ポールは理由を4つ挙げています。
- ビートルズは久しくグループで演奏していない
-
他メンバーは、受け入れがたいマネージャーを自分に押し付けている
- アーティストとして自由を妨害されている
- 共同経営会社の帳簿が作成されていない
メンバー間の人間関係がこじれて解散する話はよく聞きますが、解散するために裁判まで起こすというのは、少なくとも日本では聞いたことがないですよね。
ポールとしても苦渋の決断だったのでしょうが、当時も結構驚かれたのではないでしょうか。
1971年 ポールが勝訴するも、ビートルズ解散できず
ポールが起こした解散訴訟は、3月にポールが勝訴します。他3人はいったんは控訴しましたが、最終的に取り下げました。
しかし、それですぐに正式に解散していません。
理由としては、やはりお金の問題がありました。
共同経営会社の株を売却すると、利益のほぼ全額を税金で持っていかれてしまうなど、財政面でクリアしなければならない問題は、いまだ山積み状態だったんですね。
1972年 ビートルズメンバー、各自ソロ活動にいそしむ
1972年になっても、4人は相変わらずお金の問題で、関係企業などと協議を続けていました。
一方で、メンバーはそれぞれ新しいバンドを組んだり、映画に出演したりして、ソロ活動を続けていました。
1973年 42の訴訟と、ビートルズの夫婦たちの別れ
この年は、メンバーたちにとって更なる試練の1年となりました。
3月 元マネージャーに訴えられる
3月にアレン・クラインとのマネージャー契約が満了しました。
すると、アレン・クラインは、ビートルズのメンバー相手に42の訴訟を起こします。
メンバーも弁護団を雇って対応するのですが、この訴訟費用を賄うには再結成するしかないのではないかと言われたほどお金がかかったようです。
秋から冬 ジョンとジョージ、夫婦別居
9月には、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが別居します。
ヨーコがジョンをアパートから締め出したためでした。
ジョンはスタッフの女性と一緒に暮らし始めますが、そういう意味ではビートルズ関係者と離れて完全に「独り」になったと言えます。
またこの時期、ジョージの夫婦関係も緊張状態にありました。
妻のパティと共通の友人であるエリック・クラプトンが、パティに横恋慕して情事関係になります。
すると今度は、ジョージがリンゴスターの妻と関係をもつようになりました。
ジョンがみんなの前でリンゴスターに「お前の妻を愛している」と告白。
ショックを受けたリンゴスターは動転。
ジョンは激怒して、ジョージを激しく責めるという大事件が発生。
最終的に、翌年1月にジョージもパティと別居するに至ります。
1974/1975年 ようやく法的にビートルズ解散
1974年の年末から1975年の年明けにかけて、大きな出来事がありました。
訴訟が片付き、管財人が印税を分割する書類をまとめあげ、ようやく正式にビートルズを解散できる状態になったんですね。
4人全員がニューヨークにそろっていた12月19日にプラザ・ホテルで署名をすることにしますが、当日になってジョンがドタキャンします。
理由は、「占星術師に日がよくないと言われたから」。
ジョンはヨーコの影響で、物事を決めるときにタロットや占星術などの占いを頼りにしていました。
ジョージがジョンに電話をして来るよう怒鳴りつけても、ジョンは来ませんでした。
29日にジョンがようやく書類に署名をして、翌年1月9日にビートルズの法的な解散が決定したのでした。
『ザ・ビートルズ解散の真実』の感想
この本を読むまでは、ビートルズが解散した理由は音楽の方向性の違いかなと思っており、こんなにもめて解散したとは知らず、正直とても驚きました。
解散するために裁判をするのも、解散が決まっても実際にそうするまで更に4年かかったのも、衝撃でした。
ファンの間では、オノ・ヨーコや、アレン・クライン、ポールが解散の理由としてよく挙げられるようです。
彼らは確かにキーパーソンだと思いますが、「誰かのせい」と言えるような単純なものではないことが、この本を読んで分かりました。
何かひとつの理由で解散したのではなく、さまざまな事情が複雑にからまっていたわけですが、メンバーはもちろんのこと、家族や近いビジネス関係者たちも相当消耗しただろうと思います。
より良い曲を作れるよう、メンバーは率直な意見を言い合って曲に磨きをかけていたと、本の中でスタッフが証言する箇所があるのですが、丁々発止のやりとりの中で、少しずつ不満を募らせていったということも大きいと思います。
また、ビートルズは世界中を席巻したバンドですし、大きなお金が動くことで余計にしがらみが増えてしまったのは、メンバーにはどうしようもできないことですよね。
利益を四等分にしていたことからも、お金のことでもめたくなかったメンバーの気持ちが伺えたので、ますます残念な気持ちになってしまいました。
お金がからまず、メンバーの気持ちだけで辞められるなら、解散はもっと早かったはずです。
『ザ・ビートルズ解散の真実』の原題は、『You Never Give Me your Money』です。
これはポールの曲のタイトルをそのまま使ってますね。
「おまえは、絶対にオレに金を寄こさない」と本のタイトルをつけていることからも、著者の考えが感じられます。
ビートルズ最後の曲になったのは、ポールがつくった「LET IT BE」ですが、この本を読んでから聞くと、歌詞にものすごく納得しました。
「もう、そうするしかなかったよね」と、ポールには同情しきりです。
読んでいて不思議だったのは、これだけ人間関係がこじれながらも、解散後もメンバーはそれぞれ一緒にセッションをしていたことです。
ジョンとポールがツアーでセッションをしたときは、相当盛り上がったようです。
特にジョージとリンゴスターは、奥さんをめぐってショッキングなこともあったので、「もう二度と会いたくない」となってもおかしくはないのになあと思いました。
ジョンが亡くなるまで、ビートルズの再結成を望む声は世界中でいつもありました。
「結婚するのは簡単だけど、離婚するのは本当に大変」とよく言われますが、解散するのにこれだけ大変な思いをした後では、再結成は難しかったろうと思います。
才能に恵まれ、それを十分に活かし、これだけ大成功した人たちだけれど、だからといってすごく幸せそうでもないことを思えば、「幸せって、何だろう」と考えずにはいられませんでした。
まとめ
誰もが歌を聞いたことのあるビートルズ。
解散するのは実に大変だったようです。
少しずつ、内部崩壊していったビートルズ。
「ボヘミアン・ラプソディ」みたいに、いつか映画化されるといいですね。