
2020年11月の全日本ジュニア選手権で優勝した本田ルーカス剛史さん。
「ルーカス」というミドルネームから、「ハーフかな?」と思いますよね。
本田ルーカス剛史さんは、ハーフではなく日系ブラジル4世です。
この記事では、
- 本田ルーカス剛史はハーフではない
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なぜルーカスというミドルネームがあるのか?
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本田ルーカス剛史のwikiプロフィール
についてまとめました。
【内容】★大学や出身高校★wikiプロフィール★名前の由来★木科雄登と幼なじみ
【内容】★大学や出身高校★wikiプロフィール★スケートを始めたきっかけ★三宅星南と幼なじみ
本田ルーカス剛史はハーフではない!日本生まれの日系ブラジル4世!
第89回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会
— 木下アカデミー京都アイスアリーナ(京都宇治アイスアリーナ) (@kyotouji_ice) November 25, 2020
本田ルーカス剛史選手
優勝おめでとうございます
全日本ノービスに続き
木下アカデミー大活躍です#木下アカデミー京都アイスアリーナ#全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会#優勝おめでとうございます#本田ルーカス剛史選手 pic.twitter.com/gItAa6SaTc
本田ルーカス剛史はハーフではない!
本田ルーカス剛史さんは、名前からして「ハーフ?」と思ってしまいますよね。
しかし、本田さん本人いわく「日本人の血しか流れてない」とのこと。
本田さんは、兵庫県尼崎市うまれです。
高校は滋賀県で、大学は京都の同志社大学ですから、関西で生まれ育ったんですね。
ただ、先祖が海外にご縁が会った方でした。
TVの大会中継などで、本田ルーカス剛史さんは、よく「日系ブラジル4世」と紹介されています。
曾祖父母がブラジルに移民していたそうなのです。
曾祖父母も、祖父母も、両親も、全員日本人なので、どこかの代で日本に戻ってきたということになります。
「日系ブラジル人」の定義は、
- 両親が、日本人にルーツをもつブラジル人
- 父親か母親が、日本人にルーツをもつブラジル人
- 日本国籍をもっていたが、ブラジルに帰化した人
のいずれかです。
なので、本田ルーカス剛史さんが日系ブラジル人ということではありません。
曾祖父母が「日系ブラジル人」で、本田さんは4世ということですね。
ほとんどの移民は、日本国籍ではなくブラジル国籍になりました。
移民の曾祖父母は、人種的には日本人だけれども、ブラジル国籍を取得したのでしょうね。
ブラジル移民とは?
本田ルーカス剛史さんの曾祖父母は、ブラジル移民でした。
ブラジル移民とは、どういう人たちなのでしょう?
日本では、明治時代にはいると、日本人の海外移住が始まりました。
最も早いのは、1868年のハワイ移住。
明治元年ですから、江戸時代が終わった途端に移住が始まったんですね。
その後、日本は
- 近代化(富国強兵)で人口が急増
- 西南戦争で経済が悪化
- 地方の農村が荒廃
という問題を抱えてしまいます。
そこで政府は、日本人を他国へ移民させて、海外で労働させる移民政策をとったのです。
- アメリカ圏(ハワイ、グアム、カリフォルニア)
- 中米圏(メキシコ・パラグアイ)
- 南米圏(ブラジル)
と、多くの日本人が南米アメリカへ移民しました。
ブラジルへの最初の移住は、1908(明治41)年。
781人の日本人が笠戸丸に乗って、神戸港を出発。
50日かけて、アフリカ大陸から大西洋を横断するルートで、サンパウロに向かいました。
100年間で、約26万人がブラジルに渡っています。
地方の中都市くらいの人口ですよね。
多くの日本人が、コーヒー農園で小作農として働きました。
しかし、給料や暮らしぶりは、日本政府が移民募集時に話していた内容とまるで違っていたのです。
労働は過酷で、生活も貧しい状況の日本人がほとんど。
「数年間ブラジルで出稼ぎして、お金を稼いで来よう」と思っていた人も多くいました。
けれど、帰国するための船賃さえ貯められない状況に。
日本人の中には、自分の農園を持てるようになった人もいましたが、全体から見ると少数です。
本田ルーカス剛史さんの曾祖父母も、非常に苦労されたのではないでしょうか。
本田ルーカス剛史はなぜ「ルーカス」のミドルネームがあるの?
本田ルーカス剛史さんは、兵庫県生まれと前述しました。
なぜミドルネームがあるのでしょう?
日本国外で生まれると、出生国でミドルネームをつけて出生届を出す場合があります。
しかし、本田ルーカス剛史さんは日本で生まれていますので、戸籍上ミドルネームをつけることはできません。
日本の戸籍は、姓と名しか登録できないんですね。
なので、ミドルネームが「ルーカス」なのは
- 姓を「本田」、名を「ルーカス武史」で出生届を出した
- 戸籍上は「本田剛史」で、ルーカスは通称名として使用している
- クリスチャンなのでミドルネームを通称名として使用している
などの可能性があります。
学生時代から本田ルーカス武史の名前で試合に出ています。
インターハイなどの大会規約で、氏名は戸籍上の名前と定められている場合は、名前が「ルーカス武史」の可能性が高いと思われます。
クリスチャンではなくルーカスを使っているのであれば、ブラジル移住した家系のルーツを大切にしているのかもしれませんね。
本田ルーカス武史のwikiプロフィール
- 氏名:本田ルーカス剛史
(ほんだ るーかす つよし) - 生年月日:2002年9月15日
(2020年11月現在18歳) - 出身地:大阪府(兵庫県尼崎生まれ)
- 身長:170cm
- 血液型:AB型
- 趣味:食べ歩き
- 高校:綾羽高等学校(通信制/滋賀県)
- 大学:同志社大学
- 所属:木下アカデミー(京都アイスアリーナ)
本田ルーカス剛史さんが初めてスケートをしたのは、6歳のとき。
幼稚園の時の友達のお母さんが連れて行ってくれた、ポートアイランドのスケートリンクが人生初すべりだったそうです。
飽きっぽくて習い事が続かなかったそうですが、スケートは大好きで、リンクのオープン時間からラストまで、一日中滑ることもあったとか。
現在もスケートを続けられている理由として、スケートはジャンプやスピンなどに多くの技があるので、スケートそのものに飽きることがないからだそうです。
スケートの楽しさを知った本田さんは、浪速のアイススケート教室に入り、放課後や朝練で練習を重ねていき、大会にも出場するようになります。
高校は、滋賀県の綾羽高校の通信制で、週1回通学。
登校日以外は、1日6時間スケートの練習をする日もあるそうです。
ここ2年の成績はこちら。
2019年 | 全日本ジュニア選手権 | 3位 |
全日本選手権(推薦) | 11位 | |
2020年 | ババリアンオープン | ジュニア3位 |
全国高等学校スケート競技選手権大会 | 2位 | |
全日本ジュニア選手権 | 優勝 |
熱心な練習の成果も出てきています。
2019年よりも2020年の方が、成績がいいですよね。
去年は3位だった全日本ジュニア選手権も、今年は優勝しています。
本田ルーカス武史の今後の活躍に期待しましょう!
【内容】★大学や出身高校★wikiプロフィール★名前の由来★木科雄登と幼なじみ
【内容】★大学や出身高校★wikiプロフィール★スケートを始めたきっかけ★三宅星南と幼なじみ
【まとめ】本田ルーカス剛史はなぜルーカス?
フィギュアアイススケート界の新星・本田ルーカス剛史さん。
ミドルネームに「ルーカス」があるので、「ハーフ?」と思いますよね。
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本田ルーカス剛史さんは、兵庫県尼崎市生まれ
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日系ブラジル4世だが、本人いわく「日本人の血しか流れてない」
- 日本生まれだと戸籍上ミドルネームはつけられない
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名前を「ルーカス武史」で出生届を出しているか、通称名として使っている可能性がある
というのが、この記事のまとめです。